私たちは縛られているのか?

電通の過労死問題から一か月たった中で 「増補 経済学という教養」の中で稲葉先生は「モラリズム」の視野の狭さを指摘されていた。つまり、原理原則はルールとしてあるものの、個人はその原則から外れて行動できるというのが中身である。

モラリズムに従えば、行動主体の個人を問題とするし、責任はルールそのものではなく個人に帰するということだ。

モラリズムが強すぎると、原理原則のほうが問題だとする考え方が遠くなってしまうので問題である。