天皇の料理番 読書(20170727)

「味」天皇の料理番が語る昭和   著 秋山徳蔵 中公文庫 

 

 副題に天皇の料理番が語る昭和とある通り、著者は大正天皇昭和天皇などの台所を預かっていた方である。

半世紀以上にわたって昭和天皇の台所を預かり、日常の食事と宮中饗宴の料理を司った初代料理長の一代記。若き日のフランス修業時代、宮内省大膳寮で学んだ天皇の嗜好、宮中のしきたり、また外遊に同行した際の体験などを語る

 著者は、子供の時はモノに憧れると我慢のできない性分であったという。初めはお坊さんになりたいからといって寺で修業をし始めたり、米屋の話を聞いて米屋になりたいと考えたりとりあえず行動してみる方だったようだ。この癖とそれに伴う行動が今後の人生における著者のリズムを整えていく機会になったのだろうか。

 

個人的に

私がこの本を読んで気に入ったのは以下の文章だ。

 

料理というものは、機械・器具を作るように、寸法を計って、切って、くっつけるといったものではない。昨日の材料と、今日の材料とは違うのである。 ~~略~~

その時の、その材料と勝負するのだ。十回が十回、自分で納得できるようなものができるはずがない。できるという人があったら、それは嘘だ。人にか自分にか、どちらかに嘘をついているのだ。十回のうち、五、六回も満足出来たら、いい方だ。 

  全体を通して、自伝の要素が強いが、今身近にある食材、例えば、りんごのデリシャスという品種は苗木を海外から取り寄せたものといった興味深い話も載っている。食の文化の歴史といった本では読みづらいかもしれないが、この本は口語体で書かれているので読みやすい。その上で他のより専門的な内容が書かれた本を読んでみるといっそう理解が深まるはずだ。

 最近ではドラマにおいて佐藤健さん主演で放送されていた。映像からの方が雰囲気と著者の料理に対する考えについておおまかに捉えやすいかも。

 考察

 戦前と戦後の暮らしぶりに大きく違いがあったこと。戦後は、経済が第一にあったり、基本的人権が尊重されたり、人々を支える体制そのものが大きく変わった。それによって、教育についても影響があり、変遷を重ねたことは言うまでもない。以前の教育方法では、乱暴だが禅味の濃い教育方法だったのに対して、今その同じ方法をとると学ぶ側にそっぽを向かれるのがオチだ。絵画で好まれる絵が時代と共に変わるように、教育も食も変わっていく。仕事に対する認識はどうだろう。今は、仕事を向上させたいという認識よりも、その仕事で収入を得たいという認識の方が遥かに強い傾向があるという視点。生きるのに精いっぱいだという理由があるため。(+この視点からゆとり教育について後日考えてみたいと思う)  そうした生活基盤上でも、仕事で大切なものは変わらない。自分の仕事に対する真剣さはいつの時代おいても変わりなく必要である。これは私がこの本を読んで思ったことだが、この考えが絶対に正しいとは思わない。そもそもこの考え方が既に古いかもしれない。それでもこの本に記述された並々ならない「真剣さ」は自分の意識の内に忍ばせる価値があると思う。

 

先日、ZEROで「手抜き」で営業するパン屋の話を特集でやっていた。そこでは、「100点のパンを目指さず、80点のパンでいい」という言葉があった。上記の引用と似ていると思ったが、はてさて。

 

 

<面倒くさいからといった精神の緩みが少しでもあったとしたら、それは必ず悔いになる。こういう仕事のやり方は、私は絶対に許さない。部下にも、自分にもだ。>