雑記

普段から考えている勉強するとは何だろうかについて話すと、周りの方々には、そんなことを考えている余裕があるなら行動して結果を出すようにと言われます。普通はそう言うでしょう(これは別に普通じゃないから私が凄いみたいな馬鹿馬鹿しいことを思っているんではなくて、どうしてそうなのだろうかという単なる疑問から発しています)。考えることで本来やりたいことが出来なくなってしまう可能性(時間的にも、選択肢的にも)があるからだと思います。でも私が思っているのは自分なりに「勉強する」ということについて定義をしっかりさせたい、ただそれだけなのです。その基礎を固めるためには、自分よがりになってしまっては狭い考えになってしまいがちだと孔子先生も説いています。勉強においてやる必要のあることは他人の言葉をそのまま鵜呑みにせず、自分の言葉に置き換えることだと思います。

私は暗記することは何かを達成するための一つの手段だと思います。暗記することで数学の定理を理解する。さらに自分のやり方でそれを再現し、「分かった」にいかにもっていくかではないかと個人的に考えます。だから暗記についてやり方としても結果的アプローチに対しても否定はしません。ただ、再現できなければそれは「分かった」ことにはなりませんし、記憶として定着しないでしょう。もしそうなったら何のために勉強しているのか。少しでも定着して他の知識と繋げられることができればどんなに楽しいことか。(数学ガールを読んでいるといかに学校での勉強を自分から楽しくないものにしていたかを考えさせられます。) 勉強をするに当たって別に楽しいを強制させる必要を感じるかどうかは人の選択次第ですが。

最近思ったのは、大学卒と大学院卒との考えの違いはやはり研究しているかの違いなのか(それだけではないですが)勉強に対して考え方が異なっていると思います。それらの各々の価値観も相関する違いも面白いと思いますし、勉強以外についても考えというものをさらに広げたいとそう感じました。