雑記

ある本を再読して、ふと気になったことがあった。「選択肢と人の意図」との関連性である。例えば明日テストがあるとする。そのテスト勉強対策には教科書を重点的に勉強したり、問題集を片っ端からやっていったり方法は多様である。そんな方法から選択肢を選ぶわけだがそこには両方やるという選択肢も含めている。それで、それらの中で求められているのは効率だ。また、先生が問題集を重点的にと言ったら問題集をやることのほうが重要度が高くなる。そうして選択肢は決める要素から判断し、狭め、決められる。

選ぶという行為がその人の人柄だったり考えが表れているという面がある。それは確かにあるのかもしれない。一方で、選ばなかった選択肢に私的な判断理由が含まれていると逆に考えられると思う。点数を取ることが目的としたテストと仮定すると、ある選択肢を選んだのは点数が効率的に取れるからだという論理に従属している。選ばなかったのにはどんな理由があるのだろうか。以前失敗した選択肢だったのだろうか。そこには選ばなかったことにこそ真の選択の自由が垣間見えるということだ。

 

ひとつの見方として、選ばなかったことに対してその人の固有性が現れているのかなとそう感じた。