トラクターの世界史 中公新書 著:藤原辰史

表向きに開発された理由とその逆の理由について

19世紀末にアメリカで発明されたトラクター。直接土を耕す苦役から人類を解放し、作物の大量生産を実現。近代文明のシンボルとしてアメリカは民間主導、ソ連ナチス・ドイツ、中国は国家主導により、世界中に普及する。だが農民や宗教界の拒絶、化学肥料の大量使用、土嬢の圧縮、多額のローンなど新たな問題・軋轢も生む。20世紀以降、この機械が農村・社会・国家に何をもたらしたか、日本での特異な発展にも触れて描く意欲作。

 

 

個人的に

・現在、自動車がもたらす利便性は、そのリスクやコストに見合っているのだろうか?

・ トラクターを含む自動車の自動化は、楽観的に考えれば当事者が巻き込まれるリスクや時間が削減されるので、良いことかもしれない。一方で疑問に思うのは、この自動化が本来願っていた自動化の夢と全く同じものであるのだろうか。

・トラクターに限らず、新しいテクノロジーから私たちは自由を見ることができるが、そうでない一面も持ち合わせていることを忘れてはならない。その自由を側面から見てみると、自由を得ることによって、私たちは縛られてしまっているのである。トラクターが農業の手間を省き、農家にゆとりを与えたかもしれない。しかし、そのゆとりを得るために必要なトラクターは初期費用が大きく、得るためにはまとまったお金が必要だ。そこで借金をする必要がでたりして、結果的に農業の効率自体は上がったものの、農家のゆとりを奪ってしまっている。さらに追い打ちがあった。中規模農家と大規模とでは、コストと効率に差が大きく出る。土地を受け継いでいった人々は効率が悪いと分かっていても、手放すのを懸念してしまう。そんな農家の葛藤もあったのかもしれない、そう感じた。

 

( ^^) _旦~~

一面のみで納得せず、しっかり考えてみましょう!(自戒)