砂糖菓子の弾丸は打ち抜けない・角川文庫・桜庭一樹

その日、兄とあたしは、必死に山を登っていた。見つけたくない「あるもの」を見つけてしまうために。あたし=中学生の山田なぎさは、子供という境遇に絶望し、一刻も早く社会に出て、お金という“実弾”を手にするべく、自衛官を志望していた。そんななぎさに、都会からの転校生、海野藻屑は何かと絡んでくる。嘘つきで残酷だが、どこか魅力的な藻屑となぎさは序々に親しくなっていく。だが、藻屑は日夜、父からの暴力に曝されており、ある日―。直木賞作家がおくる、切実な痛みに満ちた青春文学。

 個人的に

 読者は1ページ目にて、結末を知ったうえで読み進めていくことになる。それによって、私は作中で砂糖菓子の弾丸が撃たれるごとに、虚しさに近い、もしくは何か違う感情を覚えた。あと、主人公が最後、山を登っている間の風景の描写はこれから彼女を待つ結末に対して、暗い感じに導いているようにはどうしても思えなかった。

メモ

・舞台は鳥取県境港市

 ➡ 山は存在しないようです

弓ヶ浜半島

 ➡ 米子市から境港市にかけて連なる半島(五里ヶ浜とも言うそう)

ストックホルム症候群

 ➡ 状態例 ::自分の生死が相手によって握られるという精神状態に陥った時、優しい言葉をかけられると、判断基準が崩壊し、生死を握る相手に優しくなってしまう状態 

 以降、ネタバレを含む

疑問

1.藻屑が常にミネラルウォーターを飲む意味

 ⇒ ”いつまでも飲んでものどの渇きが収まらない気がした”(なぎさ感)

 ⇒ 極度の緊張感に常にさらされていたため?

2.「好きって絶望だよね」の本意は?

 これは文脈から察するに、父親に暴力を振るわれつつも、好きであるというねじ曲がった心理状態から発した言葉のようだ。普通は暴力を振るわれたら、反対の嫌いになるはずだが、藻屑はむしろ好きだと言っている。提題の言葉が出たのは、幼いころからの父親への恐怖を背景として、自分の命を守るために潜在意識的に父親のことが好きだと言っているのかなと私は思う。父親を慕っていれば、いつかは気が変わって普通に愛してくれるだろう、そう思っていたのではないだろうか。藻屑の父親は痛みを与えることが愛情だと、そしてその愛情は暴力ではないと思っているようだ。「”こんな人生は全部、嘘だって。嘘だから平気だって”」 しかし、その愛情の返しはある形となって返ってきた。

 ⇒ 歌詞通りにやらなかったのはなぜだろうか?

3.ピンク色の霧の正体

 ⇒ ”その瞬間、誰もいないのに誰かとすれ違った”

 ⇒ 友彦が生活や未来屋友達やコイと引き換えに手に入れた神(あめだま)

 ⇒ どこからやってきたのか?

 

( ^^) _旦~~

 著者は米子市鳥取県)のご出身。地図で見ると、境港市のすぐ隣(南東)ですね。境港は、中海(なかのうみ or なかうみ)と美保湾に囲まれているようです。中海は日本で五番目に大きな湖とのこと。*1

海沿いと湖沿いとの立地とかってどう違うのだろう?

 

 追記 2018/3/12

 砂糖菓子の弾丸は、多様に解釈できるので何が正しいかとかは伏せておきたい。ところで私は、理想論=砂糖菓子の弾丸として捉えている。対する実弾は、現実そのものであると。例えば、「世の中こんなもんさ」という一言は実弾、きれいごとは砂糖菓子の弾丸。きれいごとを言っても世の中変わらないから、言ってもしょうがないかもしれない。でも、そうばかりでもないのでは?と思ったので書く。そもそもきれいごととは何か?

実情にそぐわない、体裁ばかりを整えた事柄。

                         引用元:goo辞書

 

 うわべだけで、行動や内容が伴っていないことは「きれいごと」。例えば、「わが社は来年国内のシェアトップを狙う」は、もし現トップとの差があまりにも広がっている場合はこれに当てはまる。現段階を十分に認識せず、言葉が先走りしている状態。でもきれいごとを聞いているうちに「きれいごと」の状態に近づいていくのではということが言いたい。むやみやたらに、きれいごとが否定されるというのは何か違う感じがする、とふと感じた。

 

 追記 2018/3/23

 本書を理解するために、次の論文を参考にした。

砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』(桜庭一樹・作)を読む : ライトノベルのその先へ

  主人公と藻屑との対照的な立ち位置を見事に書かれてており、興味深い。論文はCiNii論文で検索すると読める。

ci.nii.ac.jp