雑記

ある講演を聞いていてふと思ったことがある。人から意見を聞くことについてである。

人の意見を聞くということは自分の見方を広めたり、ほとんどが同じだとしても参考になったり、人の理解として様々な形で消化できるものだと思う。一方で、人の意見を聞かないというのも選択肢の一つだと考える。それは分かっていることであったり、時間を費やすのには勿体無いないようだったり理由付けができる。

で、本旨に戻り、聞いたときの対応を考えてみる。どのような対応になるだろうか。聞いても分からない、面白い、考えてもみなかったとか、複数または重複しているかもしれない。そこには人の経験にもよる。(個人的にそこに人としての面白みを感じる) 

提題として、それらの反応の中で納得できないから怒るというのはどうだろう。今回は人の考えることは自由だから考えても無駄だというスタンスから離れて、見てみる。

最初に人から意見を聞くということを視野を広げるための目標があったからということにしてみる。人から聞き、納得できない。それが意見全体に一貫性がなければ分かるけれども、自分の考えと合わないから納得できない。その場合、意見を理解したことにはならず、視野を広げるという目標は達成されたのか(逆に似た考えについては切り捨てるといった見方は身についたかもしれないが)

私が言いたいのは「人の意見を聞き、納得できないから怒るというのは、理解していることとはまた別である」ということだ。