ハインリッヒ・ヘルツ 著:ミヒャエル・エッケルト  東京電機大学出版

不愉快な数週間の中には良い日もある

ハインリッヒ・ヘルツ(1857~1894)はもっとも偉大な物理学者の一人です。電磁波の発見によって、彼の名前は不滅になりました。ストリート、学校、研究所そしてハンブルクテレビ塔は彼の名前にちなんでいます。周波数の単位(一秒あたりの振動数)として「ヘルツ」が知れ渡っています。しかし、ヘルツの生涯と業績についてはあまりよく知られていません。この評伝は、ハンブルクで生まれた自然科学者が物理学をどのようにして改革したかを紹介しています。

 

ハインリッヒ・ヘルツ

ハインリッヒ・ヘルツ

 

 

・子供の時から好奇心旺盛であった

・実家を離れてからは手紙を使って頻繁に身辺状況について伝えていた。学問についてもわかりやすく伝えるように心がけていたおかげで、彼(=heltz)が亡くなってからもどんな生活を送っていたのかが明確であった

ヘルムホルツやキルヒホッフの下で学ぶ

・元々は建築技師を志していた

・音楽の才能はなかったらしい

 

個人的に

 読みやすく、その上ヘルツがどんな貢献をもたらしたかが歴史背景とともに順を追って書かれている。小説のようである。本著で特徴的なのは、ヘルツが行った両親への報告である。研究の内容や今の生活の不満などありとあらゆることを報告したが、病気の際は両親に心配をかけないように計った。特に、手紙のやりとりを読んで、私も普段の生活の部分部分を思いかえした。地方の仕事が減り、都市に出ないと仕事の数や稼ぎも十分でない現在、場所は優先できないかもしれない。しかし、場所がどうあろうと、携帯や手紙でも自分の身辺状況は手軽に伝えられる。その思いがけは忙しさに忘れてしまいがちだが、ヘルツの生き方は改めてこれまでの生き方や気持ちを整理したり、引き締めずにはいられなかった。

 

( ^^) _旦~~

 ヘルツにとって研究は人生だったに違いない

 

<この運命を私が自分で臨んだわけでも、選んだわけでもありませんが、自分のことに関しては満足しなければなりません。そして、もし私に自分の人生を選ぶことが許されるとしたら、私は恐らく同じ人生を選んでいたでしょう。>